北野誠氏が“不適切発言”で無期限謹慎処分。事実上の芸能界追放となる。記者会見の場においても「具体的に何を言ったか」は説明せず、ただ「問題発言の積み重ね」である旨を強調するのみ。インターネットで噂になっている団体についての発言ではない旨も明言。ただひたすらに謝罪するのみの異様な会見であったとのこと。

私はこの“不適切発言”の原因となったラジオ番組“誠のサイキック青年団”のヘビー・リスナーだった。中学生・高校生の時分は毎週欠かさず聴いていたし、大学以降は少し離れたものの、番組の有料ネット配信がスタートして以降は再び聴くようになった。飛び飛びではあるが、おおよそ10年にわたって聴き続けたことになる。

そんなファンからすると、今回の騒動は東京の芸能マスコミがピントのズレたところで傍観者的に書き立てているように思えてならない。誠さんが事実無根のヒドイ話をしていたのは事実であるのだけれど、作為的にニュアンスを捻じ曲げられているような感じすらしてしまう。じゃあ、その“ニュアンス”って一体どういう事だ!?というハナシである。私の主観ベースではあるが、誤解を恐れずに記録を兼ねて明らかにしておきたい。

まず明らかにしておきたいのは、今回の騒動において誠さんだけが悪者のように扱われているが、実際はそうでもないという点である。(そもそも、本当に“悪者”であったのか?という議論は別に行うべきであるが・・・)“誠のサイキック青年団”という北野誠氏の名前を冠した番組名であるが、別に誠さんが1人で喋る番組ではない。作家の竹内義和氏・朝日放送のディレクター板井昭浩氏をはじめ、独特な感性を持った番組スタッフ、浅草キッド大川興業一派ら多種多様なゲストと一緒に“トークのプロレス”をする番組であった。むしろ、荒唐無稽でバカバカしい事を喋っていたのは竹内義和氏のほうである。我々ヘビー・リスナーは竹内氏のことを“アニキ”と呼んで慕っていたのだが、アニキが暴走した際、誠さんはしっかりツッコミに回り、きちんとギャグのネタとして成立するよう立ち回っていたのである。また、それに輪をかけて高いテンションと強力なエネルギーを持っていたリスナーの存在も見逃せない。番組のキモとも言える“妄想”“邪推”“キメウチ”を駆使し、ヘタをすると電波とも捉えられかねないオピニオンを番組にぶつけ、“トークのプロレス”をより白熱したものに昇華していたのである。番組の面白さは、誠さん・竹内さんのトークと同じくらい彼らリスナーのエネルギーが源泉であったことは間違いない。

また、誠さん・竹内さんは事実無根のヒドイ話をしていたが、話題となった人物・事象に対して、“上から目線”で話をしたことは無かった。モノゴトをうがって、ナナメから見て、ヒネって、カブセて喋ってはいたけれど、見下しはしていなかったはずだ。誠さん・竹内さんは芸能人・文化人として、批評対象と同じフラットな立場から喋っていた。そしてむしろ、揶揄するのは権威者・強者に限られていた。例えば、番組で“御大”と呼ばれている人物が居る。その“御大”は見紛うことなき“ヅラ”な方である。誰もが知っているにも関わらず本人は沈黙し続けるという鬘愛用者の象徴として、20年間何かとネタにされていた。“御大”は誠さんと近しい立場の人であるからして、番組でネタにし続けた事も当然知っているはずだ。しかし、その“御大”はそれに対して抗議だとかみっともない事は全くしていない。むしろ、“トークのプロレス”という番組の方針を正しく理解して見守ってくれていたのではないか。少なくとも決定的に悪くは思っていないはずだ。事実、“御大”自身の作曲した楽曲の著作権を、形見分けで誠さんに譲ろうとすらしたのである。もし、誠さんが“御大”を見下していたのであれば、このような信頼関係は築けていないはずである。

そして、各種報道ではサイキック青年団がいわゆる“無法地帯関西芸能マスコミ”の最右翼として捉えられているが、そうではなかったと私は思う。でも、昼の関西ローカルワイドショーで芸能レポーターが言いたい放題言っていたのとは決定的に違う所がある。“芸能レポーター達は他人の人生を売り、誠さんはトークのプロレスを売っていた”ということである。確かに、誠さん自身も“関西ローカル”“日曜深夜”といった点から、関東芸能界への影響は無いと思っていたのは事実であろう。この点に関しては芸能レポーターとそう大差無いかもしれない。だが、芸能レポーター達は芸能界の噂話を(贔屓目に見て)“ジャーナリズム”あるいは“スキャンダリズム”として批評対象の一段高いところからあることないこと喋っていたのに対し、誠さん・竹内さんは“何らかの情報ソースに対する批評”を面白おかしく、荒唐無稽に行っていたのである(これがつまり、“トークのプロレス”たる所以である)。時には真剣に、芸能人の尤もらしい噂話に対して「それはありえない」と検証することもあったし、噂を拡大解釈して「・・・だったら、もっとオモシロイのに」というバカげた妄想で話を膨らませたり、ただただバカバカしいシモネタの語呂合わせキャッチフレーズで噂を切って捨てることもあった。つまり、“芸能界の噂を喋った”なんていうのは番組の本質とは全く別の話である。もっと言えば、その噂が真実だろうとそうでなかろうと、別にどうだってよかったのだ。我々リスナーが望んで面白がっていたのは、噂から導き出された、誠さん・竹内さん・リスナーのアホ話だったのだから。東京スポーツ大阪スポーツの記事をジャーナリズムとして捉えている人が皆無なのと同じである。東スポの楽しみ方・・・即ち、見出しにまず驚き、本文を読んだらば、情報の意識的曲解・破茶滅茶な結論に手を打つ。あのエンタメ構造と同一なのである。

私の感じる“違和感”“ニュアンス”を言葉にするならば、上記3点につきる。しかし、どんなにそれを声高に叫んだところで多勢に無勢だ。私の大好きだったサイキック青年団が復活することはないだろう。それ以前に、誠さんの社会的抹殺状態からカムバックすら危うい雰囲気である。

では、どうすれば我々ファンは誠さんを再び表舞台へ復帰させることができるのだろうか?私が他人の人生についてどうこう言う権利なんか全く無いのは重々承知の上で、私はあえて言いたい。“誠さんは独立して、活躍のフィールドを活字媒体に移すべきだ!”。

結局のところ、今回の事件で誠さんが一人で罪(ではないと声高に言いたいが・・・)をかぶったのは、ひとえに誠さんの活動フィールドが放送媒体であったことと、芸能事務所に所属して組織の枠組み内で活動していたためであろう。放送という許認可制免許事業では“ジャーナリズムとして、公平中立な事実のみを提供する”とかいう美辞麗句の下、“臭い物には蓋”の精神で葬り去ってしまったほうが何かと都合は良いだろう。また、個人の利益は集団に還元されるとは限らず、集団の利益は集団全体に還元される。組織の利益と個人の利益が相反した瞬間、組織に所属する個人は選択をせざるを得ない。組織として活動するからには、このテーゼは絶対的なものである。この2点が複合的に誠さんただ一人を追い詰めたのである。そのあたりを軸に誠さん復活の絵をファンの立場から描いてみたい。

そもそも、誠さん・竹内さんの2人によるプロジェクトを継続するとすれば、媒体をラジオとする必然性ってあるのだろうか?私はむしろ、活字メディアのほうが誠さん・竹内さんのやりたい事を実現しやすいのでは?と考える。“サイキック青年団”の看板をおおっぴらに使用するのを止めて以降、彼らのイベントやDVDのタイトルには“濃い口トーク”という名称が冠されている。「名は体を表す」の言葉通り、はっきり言って情報の受け手を選ぶ内容である。確かにテレビメディアよりはラジオメディアのほうがリスナーの“聴く”“投稿する”といった能動的行動を伴うので適合度は高いだろう。しかし、前述の通りテレビもラジオも許認可制免許事業であることに変わりはない。放送事業免許をタテに取られたら、悪名高き自主規制もなんのその、である。また、ABCのようにテレビ・ラジオが同一放送局である場合が多い。そんな場合、ラジオで何か問題が発生してテレビを人質に取られたならばラジオは折れるしかない。そう考えると、結局、電波媒体で受け手を選ぶことは事実上不可能ではないか?と思うのだ。翻って、活字メディアの特性を考えてみよう。出版社と放送局を比較すると、リスクを引き受けてでも対象を明確にした面白いコンテンツを生み出す気概・ノウハウを持っているのは明らかに出版社だ。(放送局など、公共事業・ゼネコン批判を声高にしているくせに自身は完全なる談合横並び体質である・・・)そして何よりも活字メディアは原稿用紙とペンがあれば作品を書くことができ、それが面白ければ買い手がついて出版される。面白くなければ没となる。そのワーク・サイクルで関連する人間の数は放送・舞台メディアなんかよりずっと少ない。また、何よりも許認可制免許事業ではないから、ずっと裾野が広く、独立独歩で行動できるだけの懐の広さがある。実にシンプルでわかりやすいビジネスモデルではないか!

また、誠さんが無期限謹慎という形で責任を取った形になったが、これは本当に誠さん自身を含めた関係者全員が幸せになれる責任の取り方なのだろうか?表向き松竹芸能を懲戒解雇・誠さんは個人で独立するというシナリオもあり得たのでは?と考える。誠さんが無期限謹慎を受け入れたのは、組織人として責任を一身に引き受けることにより、松竹芸能という会社全体に対する不信をかわすためであろう。確かにこれで松竹芸能という組織は信頼を取り戻すことができた。しかし、誠さんはどうなのだろう?“謹慎”即ち、飼い殺し状態のまま収入がストップするわけである。はっきり言って、“解雇”より厳しい措置である。“解雇”であれば後は自由の身になるわけで、個人で自由に営業活動ができるのだから。吉本興業が不祥事を起こした芸人を“解雇”をもって処分したように、松竹芸能も誠さんを解雇することで責任を取ることはできなかったのだろうか?ここからは私の完全なる“邪推”なのだが・・・3月中頃、誠さんは独立の道を検討していたのではないだろうか。サイキック青年団が3月で終了することが発表された回の放送で、誠さんは思い出の1曲としてARBの“魂こがして”をかけた。この“魂こがして”という曲はARBとそのファン達には特別な意味を持つ曲なのだ。ARBというバンドはもともと“和製ベイ・シティ・ローラーズ”を目標に、ある音楽事務所主導でローティーンの女の子向けアイドル・バンドとして結成された。時は70年代末、パンク・ニューウェーヴの嵐が音楽シーンを席巻する中で、硬派なロックを嗜好するメンバーとアイドル路線を堅持する音楽事務所が対立。アイドルとしての安定した収入を捨て、メンバーは独立した。その独立を象徴する決意表明の曲として“魂こがして”は生まれたのである。誠さんは、その歌詞をブログに引用し、自身のやるせない感情を吐露していた。前述のエピソードはARBファンならば全員知っている話である。わざわざそれを引用し、悩んでいたということは、あの時点で“独立”か“謹慎”か、を考えていたということなのだろうか?まあ、ARBが独立して自身の音楽性を追及する選択をしたのは、メンバーが全員20代前半で怖いもの知らずであったということもある。単純に誠さんと同じ境遇、というわけではない。でも、解ける可能性があまりない謹慎で収入を絶たれるのなら、少しでも可能性のある独立自営の途というのもあり得る話である。

そして、もし誠さんと竹内さんのコンビが活動再開したとして、別に“サイキック”あるいは“濃い口トーク”を掲げて復活する必然性は無いと思う。北野誠×竹内義和というプロデュース・チームとして活動することもできるのではないだろうか。サイキック青年団とは結局、誠さん・竹内さんが芸能を中心に政治・経済・オカルト・文学・・・その他、ありとあらゆるモノゴトにおいて感じた“オモシロイコト”を徹底的に語りつくす番組であった。その多岐にわたる批評対象から、それぞれ「これは!」と誠さん・竹内さんが思った対象をピックアップし、作品・商品としてプロデュースするといった具合である。まあ、TV番組だとかは規模や立場的に無理だとしても、舞台公演、お笑い芸人、事情が許せばラジオ番組など各種エンタメ、或いは、社会評論からタレントものまで書籍全般は既知のノウハウで対応可能だろう。場合によっては広告宣伝や店舗展開のプランニングなんかもできそうだ。まあ、言ってしまえば既に竹内さんが行っている活動とそう大差は無い。しかし、竹内さんソロだとどうしても活動範囲がサブカルチャー領域になってしまう。それを誠さんの顔でメインカルチャーのほうにも展開していけるのではないか。そして、それと同時に、“北野誠×竹内義和”というブランディングにより裏方として名前が出ないような仕事も表に出せるのではないだろうか。例えば、誠さん・竹内さんがインタビュー&構成を実施したタレント本を想像してほしい。そこら辺のゴーストライターがまとめたタレント本なんかよりもずっとリアリティのある本になりそうな気はしないか?音楽業界での話になるが、Rockin' Onの渋谷陽一氏のインタビューなどは半ばブランド化された状態だ。インタビュイーへの興味関心有無にかかわらず、渋谷氏自らインタビュアーを務めた記事ならば読むという人は多いと思う。こんな具合に、“北野誠×竹内義和”をレーベル化して展開することができれば、これまで埋もれていた様々な才能が発掘されるのではないかと思うのだが・・・どうだろう?

最後に、サイキック青年団を含め、関西メディアの対応状況について言及したい。正直、もっと声を上げてしかるべき問題なのではないかと思う。サイキック青年団がスタートしたのは1988年。やはり、21年間も番組を続けていると、様々な方面から“マンネリ”なんてヤカラが入っていたのは事実である。まあ、これはそんなもんで割り切ってしまえばよい話だ。むしろ、私自身は番組最終回を次なる活動へのファースト・ステップだと思っていた。番組内で誠さん・竹内さんはコンビを続けていくことを明言していたし、与太話レベルではあるが次回番組構想にも言及していた。私はそれを字面通りに受け取ったし、期待していた。ところが、三月末最終回だった予定を突如2週間前倒しして番組が打ち切られた。これ自体に関しては、誠さん・竹内さん共に納得の上での措置であったわけだが・・・そして4月、誠さんの無期限謹慎が発表された。事実上の社会的抹殺である。次なるステップは幻と消えたも同然である。番組終了は必然的であったかもしれないが、ここまでの問題に発展した以上、コトを構えるのもあって良い選択肢なのではないか?竹内さんは関東芸能界とのしがらみから自由な存在なのだから、作家として自身の活動に対する正当性をきちんと主張しても良いのではないだろうか?論点を関西ローカルのTV・ラジオ番組に広げてみよう。「地域に密着した番組作り」とは、「××村で○○という催しが行われています」なんていう情報をローカルエリアに伝えることではない。地盤となる地方のリソースで番組を成立させ、独立独歩で営業放送を行い、地域の文化を発展させることだと言っても過言ではないはず。しかるに現在、「関東芸能界のわからないところで勝手なことを言っている」なんていう本質を全く捉えていない言いがかりで自主規制の狙い撃ちにあいそうな雰囲気である。たかじんさん、上沼さん、ざこばさん・・・ドメスティックな立場からもっと声を上げても良いのではないか?「東京のテレビには反骨精神が無い!権力に全く立ち向かう気が無い!自身の顔をさらして自分の言いたい事を言う。これの何が悪いんじゃ!?」なんて具合に。彼らは倫理の大義名分を持ち出すだろう。それならば、関西メディアは大同団結して文化・地域性を掲げてきちんと反駁しないと、関西発のカルチャーが潰されかねない。東京一極集中にターボがかかり、関西を基盤とする芸能活動がより衰退するであろう。

長文となってしまったが、私の言いたかったことは結局これだけである。「誠さんの“不適切発言”はニュアンスを捻じ曲げて報道されている」「ラジオ媒体にこだわらなくてもいいから、“北野誠×竹内義和”の黄金コンビ復活を望む」「関西のメディアは圧力に負けず戦うべし」。いろいろ思うことが多すぎて、情熱だけが突っ走った文章になったかもしれない。でもそれは、私の想いと世間一般の摩擦を具体化した結果である。一連の騒動を通じて、あるサイキッカーサイキック青年団のヘビー・リスナー通称)がどんな事を想ったかが伝われば幸いである。


**** この文章は筆者の邪推・妄想・予感・閃きを記述した文章です ****
**** 間違っても「公式発表された事実」ではないことをご理解ください ****

Soul Flower UnionFuji Rock Festival '09 出演決定!!先日の闇鍋音楽祭でフジロックのフライヤーが配られていたので、もしかすると今年も何らかの形で出演するのかなーとは思っていたけれど、元祖本家ユニオンでの出演である。イヤイヤ、実にメデタイ!笛吹いて、鐘敲いて、提灯行列でお祝いしたい気分なのである。

というわけで、詳細を確認するべく、フジロックの公式サイトを訪れたのだが、そこでちょっと気になる記述を発見した。まあ、杞憂程度のものならば良いのだけれど、記録がてら日記に残しておこうと思う。

フジロック公式サイトのトップページから、「アーティスト」タブへ遷移すると日割りの出演バンド一覧が表示される。そのアーティスト名をクリックすると、ポップアップ・ウィンドウにそのアーティストのプロフィールが表示されるのだが・・・


ソウル・フラワー・ユニオン [日]
Member

中川敬(Vo/G/三線)、奥野真哉(Pf/Kb/Org)、JIGEN(B/Vo/Cho)、コーキ(Dr)、高木克(G/Cho)伊丹英子(ブズーキ/チンドン太鼓/三板)、上村美保子(Cho/Vo)

Fuji Rock Festival '09 公式サイト Soul Flower Union紹介ページ
http://www.fujirockfestival.com/artist/artistdata.asp?id=639 (2009/04/28)
より

※2009/04/29ごろ、「高木克(G/Cho)」の記述が削除された模様(2009/04/30追記)

つまり、河村博司ではなく、高木克というクレジットになっているわけでる。高木克氏って、あの元Shady Dollsの人・・・だよね???まさか、河村氏が脱退して、後任に高木氏が加入するということなのか・・・!?

誤字脱字ならともかく、全然関係無いバンドの人をを間違ってクレジットするとは考えにくい。気になったので高木克氏のファンサイトを覗いてみたところ、高木克氏本人と思われる下記のようなBBS投稿があったのである。


レコーディング2発 投稿者:高木克 投稿日:2009年 3月 5日(木)14時47分59秒

(中略)

先月末にもレコーディングがありました。
3日間のリハーサルの後、音響ハウスでのレコーディング。
じっくり腰を据えての制作環境はありがたい。
詳細は訳あって今は書けませんが、これから始まる新しい環境でのスタート
、となる大切なレコーディングでした。
レコーディングにラテン・パーカッションの方も参加しており、
普段間近で見聞き出来ない演奏、
そして会話・演奏の中で開帳されるラテン、サルサの奥儀、
なかなか勉強になりました。

(後略)

☆ギターマン BBS☆
http://8018.teacup.com/guitarman/bbs (2009/04/27)
より

2月末・・・ちょうど、Soul Flower Unionがニューシングル“ルーシーの子供たち”のレコーディングを敢行していた時期である。“音響ハウス”というスタジオはSoul Flower Union御用達のスタジオで、近年の作品はほとんどこのスタジオで録音されている。また、ベースのJIGEN氏のBlogに2月27日付けで「ソウル・フラワー・ユニオン、リハーサルも順調に、本日よりレコーディング開始!!レコーディング・スタジオは銀座!」という記述がポストされている。そして何と、かの音響ハウスは銀座にあるのである!!

・・・ちょっと偶然にしては、アレコレ重なりすぎてやしないか???まあ、少なくとも2月末に高木氏とSoul Flower Unionが同じ地域のスタジオ(同一スタジオの可能性大)に居た、というのは証言から導き出すことができる。(Soul Flower Unionと高木氏でセッションが行われたか不明だが・・・別々のプロジェクトのレコーディングだった可能性も否定できない)

そして、クレジットが消えてしまった河村氏のほうであるが、確かにここ数年ソロ活動を地道に行っていて、個人のサイトなども立ち上げている。その一方で、スライドギターやマンドリンといった、これまでのソウルフラワーに無かった要素を持ち込み、バンド内の立ち位置を確立していたようにも思う。Soul Flower Union自体、強固な精神的結束を活動基盤としているようなバンドではないので、まあ、ファンから見える範囲では脱退であるとかのネガティヴな予兆は無いのであるが・・・。

しかし、先日の闇鍋音楽祭、ゲストのズボンズの演奏にゲスト出演した河村氏。ほぼ最初からラストまで出ずっぱりで、ドン・マツオ氏が勧めるがまま、センターでバリバリ長尺の即興ソロをまわしていたなあ、、、ドン・マツオ氏、冗談で「本日ズボンズに加入しました!」とか言ってたなあ、、、本編のSoul Flower Unionのライヴで奥野氏が「ここぞとばかりに弾いてたなあ!!」とか冗談で揶揄してたなあ、、、とか、別に関連性は無いのだろうけど、なんとなくいろいろ思い出してしまうのである。そして、何より思い出すまでもない、筆者が確かに見た光景・事実。・・・それは、ズボンズで演奏する河村氏が、Soul Flower Unionで演奏する時よりずっと楽しそうであったことである・・・。

とりあえず、邪推・妄想はこの辺にしておこう。具体的事実は、「(2009/04/28時点では)フジロック公式サイトのメンバー紹介で高木克氏がクレジットされている」「高木克氏と思われる人がが高木氏ファンサイトのBBSに意味深な書き込みを行った」この2点のみなのである。もし、本当に河村氏脱退・高木氏加入ということであれば、6月19日、名古屋クラブクアトロで行われる“ルーシーの子供たち 発売記念ツアー”初日で全てがわかることだろう。今後、Soul Flower Unionがどのような形態で活動するにせよ、筋金入りのファンとしては、ただただ期待するのみなのである。



2009/04/30 01:30頃追記。
さきほど、フジロック公式サイトのSoul Flower Union紹介ページを再確認したところ、高木氏のクレジットは削除された模様。そして、相変わらず河村氏のクレジットは入っていない。単純な記述ミスであれば、高木氏の名前を削除したタイミングで河村氏の名前を記載するはず。謎はますます深まるばかりなのである・・・。

布袋寅泰から新作が届く。新作に冠したタイトルは“GUITARHYTHM V”。まぎれもなく、布袋氏ソロ活動の原点であり、90年代前半、J-Rockシーンに金字塔を打ち立てた伝説のシリーズ復活なのである。昨年のファンクラブ会員限定ギグでポロリとGUITARHYTHMシリーズ復活を示唆する発言をしていたらしいが、まさか本気でそうなるとは思ってもみなかった。

でも、しかし・・・個人的には、どうも“GUITARHYTHM V”というタイトルになじめない感覚がある。どちらかと言えば、“SOUL SESSIONS III”となっていればしっくりきたのでは、という気がするのだ。この違和感が結局どこから来ているかというと、自分なりの言い方をするならば、「布袋寅泰・GUITARHYTHMという物語からの連続性の欠落」ということに他ならない。

確かに、“GUITARHYTHM”シリーズの世界観を踏襲している箇所は存在する。ファースト・ナンバーの“GUITARHYTHM RETUENS”など、過去から現在への橋渡しをしつつ、映画さながらのイマジネイションを喚起させる壮大な導入なのは間違いない。でも、逆に“GUITARHYTHM”であることの必然を示すのはこの曲とラストの“OUTRO”〜To be continued〜くらいな感覚が強い。

むしろ、本作の特徴はクラブやHIP HOPシーンからやってきた多彩なゲストとのコラボレーションである。しかも、そのコラボレーションというのは単純にゲストを招いて軽く演奏してもらって・・・というレベル感ではない。布袋氏はあくまでたたき台となる下地を提示した程度で、むしろゲストに布袋氏の個性を委ねているといってよいくらいである。“GUITARHYTHM IV”まででもコラボレーション主体で制作された曲は多数存在するが、どちらかと言うと、全体的なアルバムコンセプトがあり、その中での1つの要素でしかなかったように思う。しかし、今回はその間逆である。むしろ、コラボレーション主体で制作したナンバーを布袋寅泰×岸利至のゴールデン・コンビによるナンバーで繋いでる、といったほうがしっくりくるのではないか。

旧来の“GUITARHYTHM”と決定的に異なっているのはまさしくその点で、布袋氏のセルフプロデュースによる一貫した世界観が特徴だったのに、“GUITARHYTHM V”では布袋氏と多彩なゲストとの個性のぶつけあいがウリになっているのである。“GUITARHYTHM”〜“GUITARHYTHM IV”までの間でもサウンドは大きく変化しているわけだから、音楽性の変質という観点では別にどうって事はない。ただ、“GUITARHYTHM IV”までが(サウンド面においては)それがそのまま布袋寅泰という存在であったのに対し、“GUITARHYTHM V”においては布袋寅泰×ゲストによって新しく生み出された音世界である。そういう意味で、“GUITARHYTHM IV”と“GUITARHYTHM V”の間にはとてつもなく大きな“溝”があるという気がする。

そして、“布袋氏と多彩なゲストとの個性のぶつけあい”というコンセプトは、というと、結局のところ“SOUL SESSIONS”からの流れなのである。アルバム“Soul Sessions”、“Ambibarent”という布袋氏以外の個性が無ければ成立しないアルバムのシリーズとして本作を捉え直したとき、連続性を保持したストーリーが明確に浮かび上がるのだ。

布袋氏の音楽的変遷を大まかに分割するならば、以下の4シーズンに分けることができるであろう。

  1. BOOWY期(BOOWY時代)
  2. GUITARHYTHM期(“GUITARHYTHM”〜“KING & QUEEN”)
  3. ROCK THE FUTURE期(“SUPERSONIC GENERATION”〜“MONSTER DRIVE”)
  4. SOUL SESSIONS期(“SOUL SESSIONS”〜)
おおよそ、オリジナル・アルバム5作品毎に数年間をつなぐトータル・コンセプトが切り替わり、その節目のアルバムでそれが具体的に提示される感じである。それぞれの期についてこまかく解説はしない。ただ、確実に言えることは「SOUL SESSIONS期」に、それに基づいたコンセプトの音を提示されて、それを「GUITARHYTHMの続編だ!」と言われているのが現状なのである。正直、気分的には「スター・ウォーズの最新作でマトリックスの物語が展開されている」みたいなトコロである。

ここからは筆者の完全なる邪推なのだが・・・今回の“GUITARHYTHM V”というタイトル、布袋氏の意向というよりは、マーケティング主導で命名されたのではないだろうか?今回のアルバム・プロモーションは近年無いくらい力の入ったものだったように思う。例のアーティスト写真をいたるところで見かけたし、雑誌のインタビューもかなりの数読んだ気がする。でも、“GUITARHYTHM”という看板を外して考えた時、ここまで力を入れてプロモーションされる理由というのはあったのだろうか?“スリル”“バンビーナ”のような、コマーシャルな曲も無いのに・・・。“GUITARHYTHM”という看板ありきで考えた時、話題性という面はモチロンのこと、I〜IVの再発、ベスト盤等の商品展開が可能になるわけで、スーツを着た現場のおじさん達にとってはわかりやすい企画書で経営層から予算枠を確保する格好のネタなのである。

4月27日より本作を引っさげて“GUITARHYTHM V TOUR”が行われる。ものすごく細かい事を言うと、GUITARHYTHM期、ツアータイトルには“WILD”や“SERIOUS?”等、作品のコンセプトを提示するキーワードが使用されていた。「V」という作品のナンバーがツアータイトルに冠されたことはこれまでに無かったはずだ。どこまで意識して命名しているのかは不明だが、マニアな聴き手からすれば、このあたりも「不連続」に他ならない・・・。hotei.comのバナーには「BEST OF GUITARHYTHM」と銘打たれている。内容的には“GUITARHYTHM V”の世界観を生で体験するという感じではないのかもしれない。過去の清算という意味では、数年前、“ALL TIME SUPER BEST TOUR”という素晴らしいツアーを大成功させたばかりなのだから、どちらかというと、一夜限りでもいいから、ゲストを招いて“GUITARHYTHM V”の生再現をしてほしいのだけれど。やはり、“GUITARHYTHM BOX”を売るためのツアーになってしまわざるを得ないのだろうか??

そういう意味で、これまでに無いくらい不安感のあるツアーの幕開けである。とは言っても、あくまでセットリストやコンセプト面に対する不安であって、バンドサウンドという観点では逆に期待でいっぱいなのである。バンドのエンジンであるドラムスには久しぶりにザッカリー・アルフォード氏が来日・参加してくれる。筆者は氏を「英国版池畑潤二」だと思っているのだが、シーケンスと同期しながらパワフルなビートを爆発させる凄腕ドラマーである。それに対し、ベースはナスノミツル氏が担当するとのこと。筆者は昨年の東大寺で観たのみ、しかも市街地の野外だったせいか低音控えめのミックスだったためプレイスタイルはよくわからないのだが、ノイズ・ミュージック畑の人だと聞いている。ノイズだからと言って偏見を持つなかれ!あの世界のミュージシャンは何気ない雑音からグルーヴを抽出して音楽に加工して提示する、ある意味“職人技”の技能を持っているのである。Heatwaveの細海魚氏なんかもそうなのだけど、ノイズ・アンビエント系の人がポップ・ミュージックに接近する時、ものすごい演奏をする事が多い。これは期待大である。

そんなわけで、ツアー初日の東京厚生年金会館は何としてでも行く予定なので、なるべく早期にレポートしたいと思う。もうしばらくお待ちを・・・!(・・・と言って、“Ambivalent”のツアーはレポートをすっとばして公約違反しました。今度こそは・・・ネ。)

布袋寅泰町田康を暴行、書類送検へ−・・・・

この夏、一番の驚きのニュースである。
もちろん、この漫文の過去ログを読んでいただければわかるように、自分は布袋氏・町田氏双方の大ファンである。布袋氏の鳴らす音に込められた喜怒哀楽、あるいは「祈り」とでも言いたくなるようなスピリチュアルな波動はまさに自分の魂を心から震わせるものであるし、町田氏のガチョウの首を絞めたような叫び声からも、それと同質のものを感じている。

町田康布袋寅泰中村達也で新バンド結成ー・・・そんな噂が流れ始めたのは何時頃だっただろう。この話を聞いた時は期待半分、半信半疑半分といった感じであった。布袋氏は数年前よりソロ活動よりもバンドに軸足を移したい旨を発言し続けていたものの、あまりパーマネントなバンドを継続維持できるような性格でもないだろう。ましてやお相手はあの町田町蔵である。町田氏にいたっては同じバンドを2年以上継続したためしが無いのではなかろうか?INUや北澤組はもちろん佐藤タイジとのユニットは大喧嘩の後の別れと聞いている。最近では町田康グループのベースだった西村雄介氏がギャラの不払いについて自身のBlogで大激怒していた。中村氏にしても、Frictionをはじめ多数のバンドを掛け持ちしている中、活動時間を捻出できるのか?という疑問が湧いてしまう。
まあ、結果から見れば、その悪い予感は見事的中したわけで・・・。

だが、決して自分自身は件の事件のことを「悪いこと」だとは思っていない。
むしろ、この件の第一報が報道された時、自分は嬉しかったのだ。何がって、布袋氏にしろ町田氏にしろ、きちんと自身が表現したい明確なテーマがあり、互いに譲れなかった、という事実である。

町田氏は自身の肩書きを「パンク歌手」としていても、作家としての表現活動にだって重きを置いているわけで、連載も持っている。そこから時間を捻出して音楽活動を行っているのだ。布袋氏の思い描くパーマネントなバンドは難しいだろう。
片や布袋氏の立場からすれば、BOOWYがそうであったように、パーマネントなバンドを名乗る以上は単発的なライヴではなく、きちんと日本全国をくまなく回るツアーを行い、バンドとしての音をガッチリ固めたいと思うだろう。それは音楽家として誠実な望みであると言える。
このあたりの意識がズレていたのだろう。町田氏は布袋氏の理想(を具体化したツアースケジュール等)を「商業主義」と曲解して断罪し、今回の件となったと推測される。
つまり、「どっちが悪い」とかいう単純な問題ではなく、結局、布袋氏・町田氏にしても「ヤリタイコト」が明確に存在し、それは背反するものであった。そして、「大人」としてシャンシャンと現実的な解決して中途半端に手を打つのではなく、互いに表現者として理想を追い求めて譲らず、その結果としてハッキリと決別したのである。

ラジオ番組“サイキック青年団”で北野誠氏がこれを評して「両雄並び立たず」と発言したが、まさしくその通りである。どっかの芸能ワイドショーでオバサン相手に適当なことをしゃべくってる脂ぎったワーカホリックの司会者は「音楽性の違い?そんなのどうでもいいよ!」なんて言っていたが、全くもってどうでもよくない。表現者の理想と理想のせめぎ合いである。ババアの電話相談に説教ともご機嫌取りともつかない内容の無い回答をおもいっきりカマすだけの爺に、この件の深い背景や重要性など理解できるわけもないのだ。死んでしまえ馬鹿野郎!!
クドくなるのでこれ以上はアレコレ書かないが、マスコミ連中の報道は本当に酷かった。布袋氏・町田氏共に広義の“芸事”を生業としている以上、スキャンダルも仕事のうちではある。あること無いこと含めゴシップ報道が成されるのは仕方ない。しかし、なぜこの一件が起こったのかについて、核心に触れた上でネタにした記事が全く存在していなかったのには驚いた。“芥川賞作家”“元BOOWY・過去にミリオンヒットがある歌手”という肩書き以上には当事者の内面には、ついぞ触れられていないのである。特に町田氏に対する記述が酷い。氏の著書の一冊も読んでいないのであろう。滅茶苦茶な狂気を内包している町田氏のパーソナリティには一切触れずに“芥川賞を受賞した文豪、とにかくエラい存在”としてしか描かれていない。そういった意味では、町田氏自身がこのトラブルに対する手記を芸能誌に寄稿したことは、その信憑性や個人対個人の喧嘩としてはどうかと思うものの、妙な方向へ転がっていった野次馬報道の軌道修正という意味で適切であったと言える。


今回のツアーメンバーが発表された。非常に驚くべき布陣である。ドラムス、中村達也(ex. Blancky Jet City)。ギター、TAKUYA(ex. Judy And Mary)。ベース、JU-KEN(ex. Gacktのバックバンド)。キーボード、森岡賢(ex. SOFT BALLET)。パーカッション、スティーブ衛藤。それぞれに才能があり、各個人でもメインを張れるだけの凄いメンバーだ。

・・・正直言って、相当に不安である。布袋氏はこのメンバーでバンド・マスターとしての職務を全うすることができるのであろうか?はっきり言って、クセの強い・かなり強く“自分自身”を前に出す人間ばかりが揃っている。

中村氏は当初の噂通り、布袋氏と意気投合したということなのだろうが、町田氏と同様、かなり多忙なのは間違いない。自身のロザリオスはもちろん、ここ最近は新生Frictionがかなり活発・絶好調に活動中である。その上、さまざまな一発限りのセッションも多い。今回の布袋氏のツアーのように、ガッチリ長期に渡って拘束されるような仕事はやり遂げられるのであろうか?最初はともかく、ツアー中にスケジュール調整がままらなくなり、「穴を空ける」とまではいかなくても、他のセッションも含めて中途半端な結果になったりしないだろうか。

TAKUYA氏は、ある時・ある瞬間、突然音楽的な事で布袋氏と大喧嘩してしまったりしないだろうか?Judy And Mary解散の経緯を思い出してほしい。TAKUYA氏と恩田快人氏がバンドの主導権を争いつつある中で、世間的な注目はYUKIに対する「カワイー!」とか音楽とは異なったところでの評価ばかり。自身の音楽が正当に評価されない状況にキレたがゆえの崩壊である。今回の布袋バンドでも似たようなことが起こったりはしないだろうか?いくら元Judy And Maryでも、観客の視線はまず布袋氏に行くし、メインのギターソロを担当するのも布袋氏、楽曲のアレンジだって布袋氏がほとんど決めてしまう。かと言って、自身のキャリアと立場としては、バックバンドのその他大勢の一人として機械的に譜面どおりの演奏をすれば良いわけではない。お仕事以上・バンド未満の難しい立ち位置に自身の存在を落とし込むことができるだろうか?Judy And Mary時代のYUKIとの関係性を考えると・・・?

JU-KEN氏はここ数年、布袋氏のバンドでベースを務めている実績はあるものの、このメンバー中においてはネームバリュー・演奏スキル共に相当見劣りするのも事実である。現に、今回のアルバムに参加したミュージシャンのクレジットに彼の名前は掲載されていない。個人的な印象としては、これまでの布袋バンド内におけるキャラクターは、出音で勝負というよりは、ステージ・アクションやルックスでライヴを盛り上げる存在だったのかなと思う。これまでの布袋バンドは基本的に職人肌のミュージシャンが目立つことなく布袋氏の意図する音をビシっとキメる、といった雰囲気であった。それゆえに彼の存在は稀有なものであり、バンドに新しい風をもたらしたのは間違いない。しかし今回はどうだ?見た目的なところでは中村氏とキャラがかぶっている。ステージ・アクションにしてもそうだ。このメンバー内で彼が立ち位置を見つけることができるかどうか・・・不安だ。

森岡氏も布袋のサポートメンバー経験者ではある。しかし、“Tokyo Inter Live '95 Cyber City Never Sleeps”という2公演限りのライヴで、(布袋氏との)ツアー経験はない。しかも、そのライヴの時点とは布袋バンドのキーボードに求められる役割が根本的に変化しているという事実がある。森岡氏が布袋のサポートを勤めた当時、キーボードはいわゆる“鍵盤楽器演奏者”としての役割であった。デジタルピアノ・シンセ音源でのオルガン・・・鍵盤楽器でバンドの出音に広がりを持たせ、ハーモニーを付けるのが至上命題。しかし、"Supersonic Generation Tour"でワタナベノブタカがキーボードで参加してからはその役割は大幅に変化した。鍵盤楽器奏者というよりは、布袋氏の意図するところを寸部違わず忠実に解釈し、バンド全体をコントロールするマニュピレーターとしての比重がほとんどを占めるようになった。その役割の最たるものが“Fetish Tour”〜“Super Soul Sessions”まで、かなりの長期にわたってマニュピレートを務めた岸利至氏である。アルバム制作時点から一貫して布袋氏をフォローし、ライヴではアイコンタクトで布袋氏の指示をキャッチし、それを受けた岸氏が基礎となる音源をマニュピレート、それをガイドとすることでバンドが走っていく。サッカーに例えるならば単身フォワードの布袋氏、ミッドフィルダーの岸氏、その他を固める各メンバー、という立場であろう。過去の布袋バンドでは布袋氏がFWとMFを兼任していたようなもの。岸氏が実質的な司令塔となることで、布袋氏はFWに専念、大暴れする体制が確保できていたわけだ。このような、長い時間をかけて到達した岸氏のポジションを森岡氏が務めることができるか?森岡氏が司令塔として機能しなければバンドは成立しないのである。

ティーヴ衛藤氏はGuitarhythm IのライヴやComplexの解散ライヴでサポートを務めていた。出音的には中村氏のアヴァンギャルドな出音とマッチングしているし、かなり良い組み合わせであるのは間違いない。ただ、しかし・・・やはりスティーヴ衛藤氏はポップ・ミュージックではなく芸術表現のフィールドで活躍する人物である。そういった意味では他のメンバーとの間に溝が存在していると言える。


長々と書いてしまった。このように、非常に豪華なメンバーである反面、ちょっと想像するだけでも不安要素が多い。ヘタをすると、ツアー中にメンバーが脱退してしまいかねない予感すらしてしまう。
でも、確かに布袋氏の新作“Ambivalent”のコンセプトを体現するメンバーであることは間違いない。やみくもにネームバリューで召集したメンバーでないことは確かだ。布袋氏には勝算があるのだろう。小生の予想を大幅に覆す、とんでもない音が出てくる可能性は十分に秘めている。そういった意味で、中途半端に演奏が固まったツアー中盤戦ではなく、何が飛び出すか全くわからない「ツアー初日」は是非とも観たい!!
・・・というわけで、これを書いているのは10月26日、ツアー初日。うまいこと業務を調整して会社を休むことに成功した(笑)!!今からその歴史的瞬間を目撃すべく出かけるところである。予想を裏切る強烈なロックンロールか、はたまた予想を超えるほどにバンドの体をなさないショボい音になるのか・・・。

今日の市原市民会館、来週の東京厚生年金会館2DAYS。できるだけ速いうちにレポートしたいと思う。乞う、ご期待!

日曜の朝、たまには早起きして・・・

僕はあまり漫画を読まないのだが、それでも贔屓にしている漫画家が何人かいる。その中の一人が水木しげる氏なのだが、先日、氏の代表作である“ゲゲゲの鬼太郎”がリバイバルで再び地上波TVアニメ化された。なんと今回で通算5度目のアニメ化であるとのこと。別に鬼太郎マニアとかではないのだが、幼少時に第3期アニメ(80年代版)の直撃弾を喰らって水木氏の思想のさわりに触れた者として、21世紀のキッズ達にもその面白さが伝わることを願ってやまない。・・・というわけで、たまの早起きついでに観たのだが・・・
うーん、アニメはキッズ達のためのものであって、別に「水木思想が全く表現されていない!」「鬼太郎が本来持っていた毒が全然表現されていない!」なんて、妙な作品論をぶつつもりは毛頭無いんだけど・・・猫娘が・・・今風の「萌えキャラ」になっているのには腰が抜けた。
いや、確かに僕の鬼太郎原体験である第3期アニメの黒髪おかっぱ頭・赤のワンピースというキャラクター造形(一般的にイメージされているあの造形)が2007年の現代でも普遍性を持ちえているか、と問われたならば、残念ながら否定せざるを得ないだろう。「今時、そんな奴ぁいねえよ!」ってなもんである。70年代のオリジナルをそのまま現代に再現する、というコンセプトでもない限り、デザインを変えることを否定する気はない(そもそも、猫娘が原作の貸本版“墓場鬼太郎”で初登場した時のデザインからして70年代の造形とは大きく異なっている)。しかしながら、水木マンガの個性である、点描による濃密な作画とラフでシンプルな作画の融合した風景の中に「萌え」という要素は見るからにマッチしていないのではなかろうか。アニメは原作の作画とは全く別物、統一のトーンで均質化された世界であるとはいえ、明らかにあのデザインは異質性が強すぎる。もっと言えば「そんな、あからさまに“大きなおともだち”対応をしなくても!」って。顔つきがいくら今風でも、髪の色をもっと大人しい色にするだけで、ずいぶん作品世界になじみそうな感じはするんだけどなあ・・・・
ついでに、当ウェブサイトは音楽評論を(一応)標榜する漫文であるからして、音楽的なところにも触れておこう。ゲゲゲの鬼太郎主題歌といえば“ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ〜♪”というアレであるが、90年代、第4期アニメ化の際、あの曲を演奏したのは何と憂歌団(!)である。例のイントロを内田勘太郎氏の生スライドギターが奏で、木村充揮氏が、あのキー高めのダミ声で“ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ〜♪”とやるのである。「ハマる」とはまさにこの事だ。当時のJ−POPは売れっ子アーティストがタイアップありきで音楽が制作していた時代。そんな状況下で、マーチャンダイジング度外視で憂歌団を起用したスタッフのセンスには完全脱帽。あまり知られていないが、間違いなく90年代を代表するCoverである。
で、今回のアニメ化における主題歌である。例の唄が引き続き採用されているのだが、アレンジが大幅に変更されている。なんと今回はブラスセクションとクリーントーンのギターカッティングをフィーチャーしたファンク風アレンジである。・・・何をかはいわんや。“ルパン3世”よろしく、ジャズだのボサノヴァだの、様々なアレンジでコンピ盤作って・・・なんて、広告代理店の皮算用が見えなくもない気がする。でもまあ、このあたりに関してはそれほど心配はしていない。商品性を拒むかのごとき濃厚な毒、売れるのではなく歌い継がれる普遍性を確実に宿した楽曲なのだから・・・

●2007/02/06 Groovin' “Keith Go! Go! Birthday Live”

  • キース、55歳の誕生日ライヴ。
  • シークレット・ゲストは甲本ヒロト
  • ARBの曲を一切演奏しなかったのが印象的で潔かった。
  • ギターの古見氏がリズムをリードしていたからか?キースの演奏がずいぶん安定してた気がする。
  • キースのスネアの音色がずいぶん柔らかくなったのも印象的。
  • ARB末期はカンカン・キツキツのチューニングで耳に痛かった・・・)
  • メモしたセットリストはこんな感じ。

  • 01)青い月の笑う夜
    02) 心ひとつ
    03) Hound Dog
    04) Money (with 甲本ヒロト)
    05) Got My Mojo Working (with 甲本ヒロト)
    06) Baby Love (with 山下久美子)
    07) Be My Baby (with 山下久美子)
    08) Day Dream Beleiver (with 山下久美子)
    09) 愛の賛歌 (with 山下久美子)
    10) 待ちつづけ (with 花田裕之)
    11) 夢の旅路 (with 花田裕之)
    12) Honkey Tonk Women (with 花田裕之)
    12) 番長シャロック
    13) Gimme Some Lovin'
    14) Good Golly Miss Molly
    15) Imagine
    16) I Can't Turn You Loose
    17) Unchain My Heart
    18) Que, Sera, Sera
    19) Boom Boom (with All Guests)

●2007/02/03 The GrooversHeatwave 神戸 Varit.

  • The Grooversの新作ライヴアルバム先行予約受付兼Heatwaveレコ発プロモーションライヴ。
  • 先攻、Heatwave
  • 細海魚氏欠席のトリオ編成。
  • 池畑潤二氏の叩き出すリズムを基底に、新作のナンバーを即興風に演奏。
  • 演奏がどのように始まって、どのように展開して、どのように着地するか判らないから一瞬たりとも気が抜けない。目が離せない。
  • ドキドキ・ワクワク。
  • まさに、Heatwave of 070203、という感じ。
  • 後攻、The Groovers
  • 毎度おなじみ、鉄壁のロッケンロール・アンサンブル。
  • Heatwaveと完全に対称的。
  • アンコールはThe Groovers山口洋氏のセッション。
  • 曲目はMr. Desire(The Groovers)、Sweet Jane(Lou Reed)、What's So Funny 'Bout Peace, Love And Understanding(Brinsley Schwarz)、明日のために靴を磨こう(Heatwave)。
  • ・・・でも、このセッション、ちょっとばかしいただけなかった。
  • 山口氏、ふざけてまともにギターを弾かないのだ。
  • 藤井一彦氏に「ギター、山口洋!」なんてソロを振られた山口氏。ステージ中央に歩み寄ったかと思えば、突然ビールの一気飲みを始めたりする。
  • 藤井氏が歌っている最中もビール飲んでたり、変な踊りしてたり、わざと外した音でバッキングしてちょっかい出したり・・・
  • そもそも、山口氏がこういう予定調和なアンコール・セッションをかなり嫌っているのは知っている。
  • 山口氏がエレキギターを持って来ていなかったため、藤井氏から借用のGretsch Rock Jet+山口氏が大嫌いな(店備付の)マーシャルのアンプという組み合わせだったから、やり辛い環境だったのもわかる。
  • 恥ずかしい、ってのもあるだろうし、変に真面目な演奏をするよりは、ふざけて遊ぼうってなノリであって悪意が無いのも確かだ。
  • でも、The Grooversは山口氏とセッションするのを前提に選曲・リハーサルしてきたわけで・・・
  • 特に、ラストの“明日のために靴を磨こう”なんて、このためだけにコピーしてきたわけじゃない?
  • 藤井一彦氏以外のメンバーは音楽以外の生業で超多忙な中、わざわざ覚えてきたわけじゃん?
  • それをあのフザケたパフォーマンスで返す、ってのはちょっとどうだろう。