血と骨  2004年(日)監督;崔洋一・主演;ビートたけし


久しぶりの更新は音楽ではなく映画ネタです・・・。

私の大好きな作家である梁石日氏の代表作がついに映画化、しかも監督は、これまた好きな“Aサインデイズ”の崔洋一氏ということで、公開初日、さっそく観てきました。

思うところは多々ありますが、精魂込めて制作された、大変な力作だと思います。これが2004年の日本のメジャー映画会社によって制作されたことに映画会社の良心と未来へのかすかな希望を感じました。

鈴木京香が大胆な濡れ場に挑戦したことや、ビートたけしが主演しているメジャー配給の映画だといこともあり、公開直前にはかなりの本数のスポットやちょっとしたメイキング映像、たけしのインタビューなどがワイドショーなどで放送されていましたが、とうていTVのワクに収まるような生易しい作品ではない作品であることは確かです。

この映画は金俊平というある在日朝鮮人の生涯を追ったドラマで、その主人公は暴力的手段でしか他者と交わる術を知らない人間であり、彼に翻弄される血縁・家族関係が描かれているわけですが、全編に痛々しい張り詰めたバイオレンスの緊張感が貫き通されており、全く息をつくヒマが存在していません。


「映画はラスベガス」なんて誰かが言っていましたが、全くその通りで、たかだか10秒くらいのために何十人も人を雇って、何時間もの時間をかけて、予算をすり減らしながら瞬間・瞬間をフィルムにおさめていく、それでいて「投資」としてはとんでもないハイリスク・・・、甚だ効率の良くなさそうなビジネスです。

近年の日本の映画業界において、単館系のインディーズ・ムービーでは低予算なれど、スタッフのクリエイターとしての気質に支えられ、前衛的かつエンタテインメントとしても上質である作品が制作されていますが、大手映画会社はバブル期の不良債権などに足を引っ張られ、ほとんどはサイド・ビジネスで収益を上げ、映画会社としての体裁を保つために有名俳優のガンクビそろえただけのTVドラマのスペシャルやマンネリ化しつつも、とりあえずは知名度のあるシリーズ物を年1本とかのペースで制作しているだけなのが現状です。

予算があとン百万円あれば・・・という制作者の歯軋りをしばしばインディーズ・ムービーで感じることがあります。逆にメジャー配給の映画では、作品の規模に比例して関わる人間・企業が多くなるがゆえ、さまざまな思惑が複雑怪奇に入り組んで「大人の事情」というものが(良くも悪くも)鼻につくことがしばしばです。(いや、別に決して表現至上主義というわけではないですよ・・・それでも、創作性と資本の論理はそう単純には結合するものではないと思います)

そういった状況下でこの“血と骨”は制作されたわけですが、この映画、とにかくハイリスク・ローリターンの条件がことごとく揃っているのです。

舞台は1920年代〜1980年代、大阪の在日朝鮮人部落であるため、ロケ撮影はほぼ不可能、大規模なセットを組んで街を再現しなければならず、まず莫大な予算をそこで持っていかれます。それでいて前述のようにバイオレンス/セックス・シーンがほとんどを占めているのでファミリー層の観客はまず期待できない、TV放映などもってのほか、「差別」といった部分にも触れるためセリフの一言一句にいたるまで確固たる意図がないと抗議されてしまうおそれがある、文芸作品ゆえ、マーチャンダイジングなんかはずっと以前に文庫化されている原作の小説を売るのが精一杯、という投資効率的な観点からはお話しにならないのは明白です。

そんな映画だけに、どれだけの資金を集めることができるか?この作品に付随する権利が値打ちのあるもののように思わせて、少しでも高く売らないと、作品そのものが成立しないといっても過言ではありません。それこそ、プロデューサーの腕の見せ所なわけですが、その手腕はいかんなく発揮されていたと断言して良いでしょう。

その結果がどのように作品上に反映されているかと言うと、何よりも美術や小道具、衣装の充実が挙げられます。

終戦直後の混乱期から経済発展による都市化の過程をそれこそ予算の無い映画であれば「19xx年」とかテロップで表示して時間軸の移動をイメージではなくハッキリした文字情報で知らせるわけですが、この“血と骨”ではそんな野暮ったい表現は一切行わず、最初、カマドだった台所にプロパンガスが設置され、そして画面からボンベが消えて都市ガスが開通したこと想起させる、オープンセットに建築された建物も前半と後半で建て替えられたりしている等、精巧に造られた美術のディテイルが描き出すイメージで表現しているのです。これは何よりの裏方職人さん達の自信の表れであると言えます。

しかも、それを事あるごとに破壊していくのです。(そういう映画ではないので)カタルシスを感じるわけではないのですが、ハリボテでは出せない、壊すときの力の入れ方や重みなどが俳優の演技から重厚に感じられ、非常に迫力がありました。


私自身は1980年代初期の生まれなので、私の生きている年代とこの物語の時代とはほとんど重なっていませんが、まだ幼稚園にも上がる前、1985年ごろ、たまに両親に連れられて舞台となった大阪のコリアン・タウンの市場に買い物に行っていました。

具体的記憶としては、そこで買ってきた本場のキムチが幼児の自分には酸っぱくて食べられず、「好き嫌いするな!」と叱られた、とか家庭内でのプライヴェイトなものばかりだったのですが、この映画を観ている中で、すーっと、その市場の情景が蘇ってきたのです。

ビートたけし演じる金俊平がリヤカーを曳いた自転車で狭くて汚い市場の路地を移動しているシーンがあったのですが、「ああ、こんな風景見たことあるなあ、行ったことあるなあ」と、実体験と映画の物語がリンクしていくのを感じました。

原作の小説はずいぶん前に読んでいたのですが、狭い朝鮮人社会の中でも民族性を超越した、特殊な個人の物語であるため自分との具体的接点などはさほど感じなかったのですが、映像として提示されることで、そう遠い昔の話ではなく、その空気感を自分自身は体感していた、ということを気づかされました。


もっとも、突っ込みどころが無いわけではありません。

いかんせん、40年近い時間を描いた物語だけあって、俳優さんは強引なメイクで若き日から老いて臨終する瞬間まで演じるわけですが、頑張って精巧を極めた結果、悪い意味で極端になってしまいなんだかコントみたいな感じになっていた気もします。老人となって杖をついて歩くビートたけしの姿ははからずも吉本新喜劇間寛平の動きを連想させました。

原作は主人公の親子関係を軸に民族問題や政治問題などプライヴェイトな物語と社会的事象がうまい具合に噛み合って非常にスケールを感じさせるストーリーだと思いましたが、さすがに映画としてはまとめきれない、となったのか、親子関係のエピソードの積み重ねとして描いた分、どこか物語そのものとしては弱くなった印象があります。

有名な映画レビューについてのサイトで「テーマ性に乏しい」と評されていましたが、全く同感です。

あまりにも非現実的な主人公だけに、うかつに起承転結のお話しとしてまとめるとウソっぽくなる、という脚本家の意図するところもわかるのですが、それにしたって「親子関係」がテーマのわりには息子の第一の役割が“狂言回し”に見えてしまうのはどうでしょう。

タイトルの語源となった“血は母より、骨は父より受け継ぐ。”という言葉が象徴する朝鮮人ならではのエグイくらい濃厚な関係性を描くのであれば、ビートたけしの父親像ばかりでなく、息子の正雄の中に潜む父親譲りの狂気などももっとキッチリ描かれてしかるべきではなかったでしょうか。

そして何よりも、崔洋一氏とビートたけしの組み合わせで、どこまで関西の在日コリアンの雰囲気が出せるのか、というと・・・?

所詮、私は80年代生まれなので本物の空気感なんか知らないのですが、アイデンティティは完全なる江戸っ子であるビートたけしは見栄もへちまもない、ただただ「実」あるのみの関西の在日コリアンを正しくトレースできていたのか???私にはわかりませんが。


ただ、パンフレットで監督の崔洋一氏と原作者の梁石日氏が対談しているのですが、その中で個人的に、非常に気になる発言がありました。

この作品、何人もの監督から映画化に関するオファーが上がってきたそうですが、阪本順冶監督が梁石日氏に手紙で直談判していたそうです。この人も崔洋一氏と同じく作品の出来不出来がやたら激しい監督ですが(笑)、70年代の大阪のダウンタウンの様子を知る人、という意味では日本映画界で最も理解している方であることは間違いありません。

阪本順冶、とくると、氏のデビュー作“どついたるねん”で強烈な印象を残した俳優としての赤井英和氏を連想してしまいます。

今でこそ関西ローカルのバラエティ番組に活躍の場を移していますが、現役ボクサー時代〜俳優デビュー直後の激烈パンチドランカーの眼光は主人公・金俊平の無垢な暴力性と見事にマッチングするのではないか?しかも、舞台となるコリアン・タウン付近の出身。ある意味、「当事者」ではないか!

・・・そんな風に阪本順冶−赤井英和のコンビ復活を夢想してしまいました。変な話、この原作は阪本順冶が撮るべき作品だったように思います。


後半、つらつらと「〜なら・・・」ばかりを書いてしまいましたが、スタッフ・出演者共に、丹精込めて制作された大力作であることは間違いありません。前半で書いたように、現在の日本映画業界において、このようなメジャー配給映画という媒体だからこそ表現しうる映画らしい映画が制作されたことは間違いなく意義のあることです。だからこそ、この作品が確実な利益をあげて、少しでも日本映画界が資金難の悪循環から抜け出すことができれば、と切に願います。



   -----------------------------------

<参考LINK>

血と骨 公式WebSite http://www.chitohone.jp/