●10/9,11 ボロフェスタ'04 @京大西部講堂
 Soul Flower Union, Polysics, bloodthirsty butchers, 遠藤賢司, Zoobombs etc.


今をときめく大物アーティストが出演するわけでもなく、大自然と共生するわけでもない、間違っても企業PRや村おこしでとにかく人を集めるという発想でもない、もちろん狭くて汚いライブハウスに何時間もカンズメにするイベントでもない。ただただ、草の根的に集まったスタッフが、良質の音楽を手弁当で紹介するという感じのお祭り?フェス?でした。

いろんな所で「京都的なフェス」とか言われているけど、僕に言わしゃあ、大学におけるタテの関係が土着化しているがゆえにしぶとく生き延びてる70年代のカルチャーのフェスであって、ことさら「京都」を強調するのはなーんか違うんですよ。

その「京都」って騒いでる人は他の地方、というか、場所はどこであれ、東京のカルチャーを基準として考えている奴なんだろうけど、花の大東京でも70年代はこういった大学を中心としたアングラ文化は存在していて、80年代〜90年代前半にマス/資本を喰ったり喰われたりした結果、フジロックサマソニといった現代のロックフェス文化に発展・結実したわけで。それに対するカウンター文化としても、新宿・渋谷・下北沢に密集する大小さまざまな規模のライブハウスや芝居小屋、ロフトプラスワンのようなアングラさんの交友サロンまで各種整っているし、明確に階層化こそされているけど、ハミダシ者が生きていける環境は東京のほうが、ある意味、根付いているんじゃないか?

その点、京都はこういったカルチャーが土着化こそしているものの、それに個人がイチから参加しようと思うと、大学なり何なりのソサエティの一員となっていることが前提条件であり、そこから人の繋がりでカルチャーに染まって、ずぶずぶユルんでいく、のが基本。

具体的に例えると、バイトの斡旋なんかが大学のサークルで賄われていて、代々、先輩から後輩に受け継がれていくのが基本、たまーに就職の決まらなかった人が社員として拾われる、みたいな。自分の場合、(滋賀のキャンパスだけど)京都の大学に通っていて、その中のサークルの看板・人脈で、音響屋の兵隊丁稚バイトだとかを通してそういう京都に根付いた70年代的な文化の一端に触れることができたりとか。これが劇団系や軽音サークルとかだったら、もっと顕著なんじゃないか?

でも、僕なんか、ネガティヴでエゴイスティックな個人主義の悪者やから、前提となるソサエティ内での人間関係の構築がキツくてねぇ。そういう意味で、東京のほうが自己目的チックな欲望に正直になれる、つう部分であっさりしててスカッとするんじゃないかなー、と思うンだけど、どないでっしゃろ?

そういった意味で「京都的」なるハイセンスなイメージの形容詞が至る所で使われている今日この頃ではあるものの、その内実はドロドロ・ズブズブに溶解した難儀な関係性がベースになっていて、しち面倒くさい、オシャレでもなんでもない、ということは理解しておいて損はない。

とは言え、「京都的」という形容にそのものについての疑問はあるものの、まぁ、京都でしか成立し得ないイベントであることは確かで、壬生あたりのヒッピーさん大集合、ヒマな学生さんボランティア・スタッフで参加という具合。そんな雰囲気なもんだから、西部講堂内ステージへの入り口で見張りをしてたスタッフのお兄さん、開演中にイビキかいて寝てたりとか(笑)しかも、客がそのお兄ちゃんの拡声器を口元に持ってきてイビキを拡声して遊んでる(笑

フジロックライジングサンのゴミ捨て場のボランティア・スタッフが「お手伝い」と称して「ペットボトルのキャップは燃えないゴミに捨ててください!」とピリピリしてるのとはエライ違いである(笑

別にこれらのどっちが良い、悪い、じゃなくて、単純に、客はともかく、スタッフに対しても親近感が持てるイベントって凄いよな。スタッフパスぶら下げた人間が堂々と最前列で盛り上がってたりしてたし、「あたしモーサム観たいからその時間はフリーにして〜!」とかいう按配にスタッフの持ち場シフトの決定で軽くモメたのではなかろうか、とか、前述の爆睡お兄さんは完全徹夜で看板のペイントの仕上げをしていたのかな、など、学園祭の仕切りを経験したことがある者としては、身につまされて妙に共感してしまいました。客のほうの質もメチャクチャよかったから、いくら仕切りが悪くても客の目に触れる範囲ではヤヤコシイ事態は起こっていなさそうだったし。(これは皮肉でもなんでもなく、普通に凄い・素晴らしいコトです)

まぁ、流石に「こりゃダラケとる!」となったのか知らないけど、最終日は普通に「リストバンド見せてくださ〜い」ってやってましたが。


あ、そういやガガガSPがこういう祭りの準備をしている時の理由なきハイテンション状態を“祭りの準備”なるズバリな曲にしたためていたが、コレ、“うる星やつら ビューティフル・ドリーマー”の情景モチーフをそのまんまパクってんじゃねーのかぁ?・・・どうでもいいか。


祭りの情景としてはこんな感じだったわけですが、「商売っ気なさすぎやけど大丈夫かぁ?」なんてこっちが心配するくらい純粋主義的なイベントだけに、アーティストのラインナップも「これでもか!」ってくらい純粋主義なチョイスだったのが凄い。イベントの大トリに遠藤賢司御大を持ってくるあたり、ミュージック・プラトニズムと呼んでもエエんちゃうか?(笑・ホメ言葉です)そんなアーティスト達のアクトから、気になった演奏をピックアップしてみたいと思います。


CDを真面目に聴いた経験もなく、初めてLIVEを観た中で印象的だったのはPOLYSICSでしょうか。演奏自体は俺の予想の範疇を破るようなものではなかったんだけど、(それでも普通に破綻っぽさと機械的反復性が同居してて上手かったです)照明がとても美しく、異常にステージ栄えしていました。まぁ、こういうイベントなだけに、音響や照明の機材インフラ的には予算制約から、なかなか厳しい側面もあったりする様子だったのですが、シンプルで最低限の機材を200%は活用してたのが凄い。サスライト(舞台真上から出演者を照らすアレ)を楽曲のビートに合わせて各メンバーを一人づつ、瞬間的にストレートでスポット当てるようにギラギラ・バチバチと光らせてカットイン・アウトしていたのが死ぬほどカッコ良かった!他のバンドが楽曲/メロディごとのイメージに合わせた地明かりの色調を切り替えるのみで無難なオペレートをしていた中で、群を抜いたセンスだったと思います。

(バンドが専属オペレーターを連れてきているか/いないかという問題でもあり、大勢のアーティストが出演するイベントなんかだと、専属スタッフがいなくて、会場のスタッフがオペする場合、前もっての楽曲予習なんか不可能に近いわけで、無難にせざるを得ないという事情も当然あるわけですが)


bloodthirsty butchers、彼らもはじめて観たのですが、生で聴く、轟音ノイズギターは確かに大迫力でした。しかしながら、田渕ひさ子じゃない方のギタリスト氏はその轟音の中で、必死の形相で搾り出すようなヴォーカルを発していますが、あれって、何のために歌ってるんだ?とか思ってしまいます。

ギターアンプの音量はフルテン、轟音ギターを弾いて、爆音で気持ちイイ!っていう感覚はよく理解できるのですが、そのような音の渦の中で歌ったところで声は全く聞こえないだろうし、ヴォーカルの快楽って存在するのでしょうか?「アチョー!ギョエー!ウガ〜ッ!」とか、意味を持たせていない叫び系なら「あぁ、とにかくデカイ音を出したいのだな、」と理解できるものの、そのギタリスト氏、かなり大真面目に歌っているんですよ。当然、客席への音ではギターにかき消されてヴォーカルは全く聞こえないにもかかわらず。轟音の隙間から垣間見えるから逆に美しいんだ、とか言うならそう演出するべく、オケは陰影をつけた演奏をするべきだし。

・・・という部分から、「何がヤリタイのかワカラナイ」そんな印象を受けました。いっそのこと、ノイズギター・インストやりゃあ存在意義が明確になるのに。


Soul Flower Union、彼らに関しては、もう、どうこう言いません(笑)相変わらず世界で最も踊れるロックンロールを聴かせてくれました。俺の前にいたART-SCHOOLファンの女の子達、初めて聴いたであろう“海ゆかば〜”で常連ファンにまじって両手を挙げて、猫踊りしてました。微笑ましかった!(笑)願わくば、彼女達がCDやTシャツを買って、SFUが儲かってくれればウレシイな。

マニアックなネタとしては、その“海ゆかば〜”、曲終わりにメドレーで“戦火のかなた”のアウトロが付加された新アレンジでした。今後、このアレンジが定着して行くのかが注目されます。

アンコールの“こたつ内紛争”は先日のツアーではSFU+チンドン太鼓中西さんの編成で演奏されていましたが、今回それにSAXの樋野さんも加わっての新編成での披露となりました。ですがSAXソロなどは無く、邪魔にならない小音量で吹いているといった具合で、アンコールやしとりあえず出とけ〜!ゆう感じだったのではないでしょうか。


ズボンズ、このイベントの参加者の大多数であるイマドキのロックおにーちゃん・おねーちゃんにとってはある意味、実質的な大トリとして認識されていたのでしょうか?皆さん、思い残しのない様、ありったけのパワーをバンドにぶつけていました。そんなんだからズボンズ側もガンガンにノッてきて、ポッキー氏のドラムによる激烈パーカッシヴ・グルーヴが客はもちろん、スタッフまでもをカオスの盛り上がりにぶちこんでました。最後は舞台スタッフさんまでステージ上で踊ってるし。

演奏を終了したらば、スタッフを再度ステージに上げて、彼らの努力を紹介しながら「拍手〜!」とかはじめちゃって、もうイベント全体をシメようとしだしたのにも度肝を抜かれたなぁ。おいおい、ヘッドライナーのエンケン先生は完全無視かよ!って。何と大胆不敵、実は体育会系社会の音楽業界において、これは神様に喧嘩を売ってるに等しい行為ですぞ(笑


んで、件の遠藤賢司バンド、客はズボンズで踊り狂ってお腹一杯状態でしたが、そんな根性ナシどもに喝を入れるかのごとく、これまた激烈な音を聴かせてくれました。

ズボンズがリズムで踊らせてカオスを作り上げたとするならば、エンケン御大は対極的に、ギターと歌で、武者震いが止まらなくなるような張り詰めたカオスを作り出していた、と言えます。

仁王立ち姿、ハウリングお構いなしの爆音で弾き語り、観客の視線を一手に引き受け、睨みつけて対峙する姿は限りなく薄いガラスのような鋭さと緊張感となり、客席を支配していました。それでいて、突然フォークギターをパーカッションにして猫の声帯模写をはじめるわ、MCで森進一のジャケをパクったと公言するわで観客達は「とにかく凄いんだけど、リアクションの返し方がわからない」状態。だからこそ、明快かつシンプルで基本的なリアクションである「曲が終わった拍手」が、異常なまでのスタンディング・オベイションとなり、このフェスで最大の「曲が終わった拍手」となったのではないでしょうか。

エンケン御大も、普段のライヴとは全く違う若者達にウケている、ということで曲ごとにじゃんじゃんボルテージが上がる一方。ラストナンバーでは、「遠からん者は音にも聞け!近くばよって目にも見よ!我こそは千代に八千代に我が代の男!姓は遠藤、名は賢司!人呼んで天下御免の純音楽家エンケンなるぞ〜〜〜〜っ!」と、例の決めセリフを叫ぶと同時に、1mは段差のあろう客席にダイヴ!!御歳57歳!芸能生活35周年!!骨粗鬆症で「ぽきぽきっ!」とおイキになられやせんか、と、一瞬たりとも目の離せないスリリングさ。まさに、パンク・イズ・アティチュード!フォーク・イズ・パンク!!客席全体が度肝を抜かれて、やんやの大喝采でした。

こんなエネルギーの塊のような音楽家、俺達の世代では存在するだろうか?なんか、ZAZEN BOYS向井秀徳あたりは70歳くらいになってもやってそうだが、イマドキのパンクス達はエンケン御大のように太く、それでいて長く、音楽家としての生命を維持していくことができるのか!?

遠藤賢司バンドがヘッドライナーであったというコト、そこには、「年功序列」だとか、しょうもない理由によるブッキングを超えた、オーガナイザー氏のメッセージが込められているのではないだろうか。



上手くまとまらなくて、最後のほうは勢いとワルノリで書いた感はありますが、これが俺のボロフェスタ'04の感想であります。
主催者のロボピッチャー各氏に拍手!



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<参考LINK>

●nishiki ya(ボロフェスタ'04 公式Site)http://www.nishiki-ya.com/
●京大西部講堂 公式Site http://www.seibukodo.net/
POLYSICS 公式Site http://www.polysics.com/
bloodthirsty butchers 公式Site http://www.riverrun.co.jp/bloodthirsty_butchers/
Soul Flower Union 公式Site http://www.breast.co.jp/soulflower/
ズボンズ 公式Site http://www.five-d.co.jp/zoobombs/
遠藤賢司 公式Site http://enken.com/
ロボピッチャー 公式Site http://www.robopitcher.com/