●10/1 町田康ユニット@新宿LOFT


今や伝説のパンクスではなく作家先生となってしまった感はあるのですがあの町田康が新ユニットを本格始動を開始!これが非常に良かった!

実は私、INUをはじめとするアングラ系のバンドって少々苦手だったんですよ。「前衛的」という名の言い訳の下、確固たる意図や意味づけも無くとにかく「ヘン」なことが面白い!という風潮がどうにも受け付けないのです。(特にナゴム周りのムーヴメント!さまざまな世界に多くの才能を輩出したのは認めるが、どうにも「表現の原点」としてのナゴムは人を馬鹿にしてるとしか思えない)

中島らも氏が“バンド・オブ・ザ・ナイト”という半自伝小説で町田町蔵町田康の旧芸名)を体験した様子が描かれており、しかも、町田氏本人が先日の中島らも追悼ライブの出版業界人トーク・セッションで「私のライブの様子を完璧に表現していた」とまで言わしめた小説なのですが、そのライブ、町蔵はステージには現れず、PAさんがテープで「はいからに天カス入れるなっ!」という町蔵のシャウトを流してオシマイ、という滅茶苦茶もいいとこな内容のライブだったのです。

この小説の主人公(≒らも氏本人)は睡眠薬でラリっているから大笑いしてこの様子を楽しんでいるしるのだが、悲しいかな、そこまでロケンローできない頭でっかちのオタク者としては、さすがにこのパフォーマンスは「ふざけ過ぎ」としか捕らえようがないのです。もっと言えば「誠実でない」。(俺はその場にいたわけではないが)「金払って観てるんじゃ、ぼけ」とか客という立場の優位性を振りかざすなんて野暮なことはしないけど、これが数日徹夜して難産の末捻り出したギャグであったとしてもステージに現れない、たったの一言だけ、なんてヤられた日にはあえて逆説的表現を使うと、パンクスとしての良識を疑いたくなる。

そして電撃的な作家デビューがあり、芥川賞まで獲ってしまった町田氏。たしかに、デビュー作の“くっすん大黒”で氏独自の文体とリズム感を完全確立して、死に体だった純文学業界を一気に活気付けたのは大きな功績でしょう。

私としては町田文学の最大の魅力は、その文体もさることながら、「些細な問題に揺れてしまう精神、それが引き起こす悪循環」という「堕落」の様子を活写し切った表現にあると思っていて、前述の“くっすん大黒”や“夫婦茶碗”ではそれが幸福な形で結実していると思います。ですが、いかんせんモチーフそのものの持ちネタが無さすぎるのか、作品を発表するごとに早くも「焼き直し」感が漂い、シュール・レアリズムな方向へ突き進んでいくにつれ、「ほな、どないせぇゆうねん」と突っ込みたくなるくらい形骸化した文体だけが一人歩きした一発屋さん、ということであまり好きではない表現者の一人ではありました。

前口上が長くなりましたけど、自分の中での町田康(町蔵)の位置づけというのはまぁ、上記の通りだったのですが、いろいろ複雑な思いをしている時にたまたま新宿LOFTの前を通りがかったら町田康のコンサートがある、ということで、当日券でフラリと入ってみてビックリ、個人的感情と相まって死ぬほどスカッ!とするライブとなりました。

ギタリストが我らがARBの内藤幸也氏だったのにも驚きましたが、それ以上に、町田氏による歌詞、これが、最近の作品になればなるほど、音量で威嚇しなくとも耳に突き刺さるような「痛み」をもって押し寄せてくるんですよ。

“私は昔スターだった 本当なんだ 信じてくれ 私はスター!(お前は阿呆だ!)♪”

不思議な歌詞である。町田康十八番の自虐ネタか?卑下するのはお好きにどうぞだが、気が済むまでやって頂戴な。けどさ、手前に阿呆呼ばわりされる筋合いは無いのだ、ね、この抜作めが。・・・って、もちろんそんな訳はなくて、「作家先生」ではなくてパンク歌手であるという確認の徹底が歌われているわけで、「スターであった」という過去形も「ロッカーだった」という音楽家という職業そのものを過去完了としていない点が嬉しいではないか。そして、昔パンクバンドでちょろっと売れて、今は作家になった、というパブリック・イメージどころか、前述の俺の先入観を含めて「お前は阿呆だ!」というシャウトで一刀両断にしてしまうのである。

そして、極めつけに“パンクロッカー”というナンバーで“誰がするめじゃぼけ 俺はパンクロッカー そこのねえちゃん うどん喰って走ろうぜ♪”と、パンクスであることを真正面から明らかにし、「走ろう」という言葉でこれからも突き進んでいくことを宣言しているのである。

ライブが終盤戦になると、誰もが本当はイチバン聴きたいINU時代のナンバー、“フェイドアウト”“気い狂て”を演奏してくれたのだ。1981年リリースの作品である。表面的な質感は極端に違わないものの、さすがに町田町蔵10代の頃の作品を、全くスタンスの異なる現在で歌うのは町田康本人はどう思っているのだろう?INU唯一のオリジナル・アルバムのタイトル・ナンバーである“メシ食うな”は90年代中頃、大槻ケンヂのライブにゲスト出演した際、オーケンが勇気を出してリクエストするまでずっと封印されたままであったと聞く。自分の原点であり、最も評価された作品として、誇りには思っていても単純に、現在の楽曲群と並列させるには複雑な感情があるに違いない。それでいて、しっかり観客の気持ちを汲み取って演奏してくれたのだ。こちとらオーディエンスもノリノリのノリ助と化してエネルギーをバンドに返さずにはいられない!

そんなライブだったのですが、全体的感想として、しっかりパンク歌手としての「誠実さ」が貫かれていたのが印象的でした。

そもそもが、「町田康」という本名名義でのライブであり、「町田町蔵」という名前は既に過去の存在なのである。詳しい資料やインタビューが見つからなかったので私の推測なのだが、作家デビューして新潮や文春系の編集者に鍛えられ、「奇抜」なだけの表現からそのもうひとつ向こうのレベル、作品の受け手の存在とエゴイスティックな自己表現を落し所を見つけてマッチングさせる手腕をゲットしたからこそ、音楽活動時も「町田康」という名前を使用するようになったのではないだろうか。

町田康名義ではじめてCDをリリースしたのは95年終盤、ちょうど野間文芸新人賞を受賞する直前の時期である。そう、町田町蔵から町田康への変化は、自己完結した前衛性からの脱却だったのだ。

シアター・ブルックの佐藤タイジとのユニット、ミラクルヤングは短命に終わったが現在の町田康ユニットで(リリースかデモか、どれほどのものかは不明だが)レコーディングが行われたとの報告が町田氏のWeb日記で行われた。パーマネントなバンド、とまで肩肘張ったものでなくとも、現在の町田康を伝えるアルバムの完成を楽しみに待ちたい。

でも、町田氏からすれば、こんなわかったような評論モドキはお笑いなのだろう。“解釈するのはやめてくれ 財産抱えて逃げてくれ”(弾丸ロック/布袋寅泰、作詞:町田康)。布袋氏はこの詞を受けて「深読みしたって無駄だ、ロックってジョークなんだから」とレコ発ツアーに寄せたパンフレットのインタビューで語っている。なるほど、当事者としての心理ってこんなもんなのだろう。わはは、御免。



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<参考LINK>

●The Cover 公式WebSite http://www.the-cover.com/main.htm
怒髪天 公式WebSite http://www.dohatsuten.com/
Sonhouse 公式WebSite http://sonhouse.com/
町田康 公式WebSite http://www.machidakou.com/
●Do The Young 町田康 FanSite http://www011.upp.so-net.ne.jp/banana_fish/